福島県南相馬市の実情(弁護士として)

1.福島県南相馬市に住み、開業している一弁護士からの情報の発信です。マスコミが入らない地域です。
2.南相馬市の状況
 北から鹿島区、原町区、小高区です。小高区は、ほぼ原発から20キロ圏内であり、ほぼ避難指示が出されています。原町区は、概ね原発から20キロから30キロ圏内に位置しており、計画的避難区域、緊急時避難準備区域に指定されています。
 コンビニや小規模小売店の営業がようやく行われるようになりました(時間制限、品数制限あり)。商店街はシャッター街の状態です。大型店舗も中規模のスーパーすらもやっておりません(原町区内から相馬市の店舗へのバスが1日3本程度出ています)。
 ガソリンも民間のタンクローリーなど入ってきません(ほぼ支援物資による供給がほとんどです)。
 郵便は届きませんし、原町からは郵便を出すことはできません。ただし、郵便局に出向けば別ですが、受け取るところは本局のみです(長蛇の列です)。また、出すことのできる郵便局は4カ所のみです。ポストには投函できません。
 その他の宅配便などは営業しておりませんので、メール便等は届かず、日弁連が発行する自由と正義も届かないでしょう。
 新聞の配達はなされていません。
 主要な金融機関はほぼ営業しておらず、銀行店舗内のATMも機能していないのが多いです。北上すること20キロの相馬市内に行くと、30人くらい並ぶ待ち時間があります。
 沿岸付近は立ち入り禁止の看板がありますが、通り抜けできます(ただし、がれきの残骸と泥であふれています)。
 自衛隊の車は多いです。支援物資の輸送・遺体収容等のため。なお、ようやく始まった遺体収容は中々進んでいません。気温が高くなるにつれ、腐敗が進み、伝染病等が蔓延する危険があります。
 常磐線の復旧の見通しはありません(以前は、1時間に1本で、通勤・通学の手段でした)。
 バスもありません(従前もほとんど便数はありませんでした)。
 夜の町はいっそう真っ暗闇に包まれています。
 医療機関の一部はようやく診療を再開していますが、必要十分ではありません。
 原町区内の学校(小中学校・幼稚園・保育園・高校)の再開のめどは全く立っていません。小中学校は鹿島区内で行うようです(原町区内からはスクールバス)。保育園は鹿島区内に臨時で一カ所。高校はサテライト。
 市やボランティアで個別家庭に対する支援物資の配送を行っている状態です。
 何よりも戻りたいのに原発のせいで戻れない、もはや生活を立て直すすべがない、という行き場のない思い、どうしようもない思い、いつ収束するのか分からない不安、どのように補償されるのかの見通しの不透明さが極めて強いです(特に第一次産業従事者は、、、何年も何十年も掛けて農地を耕作し農作物を育て、牛を飼育し・繁殖させ、収入を得てきたににかかわらず 原発により全てを生活の基盤を失ってしまいました、残ったものはローンしかありません)。
 原発事故により仕事がありませんので、収入がないから暮らしていけません(避難所ではまだ生活はできますが)。となると、この地域から出て行かざるを得ません。
 親戚や子供の家に避難していた人が戻ってきた背景には、2,3日はお客さん扱いだが、10日経てばお荷物扱いされるストレスだそうです。避難所であれば同世代の人と話もできるし、特に不自由はないとのこと。
 南相馬市と相馬市では町の雰囲気が異なることを肌で感じます。南相馬市はその中心部が原発から30キロ圏内。相馬市は原発から50キロです。相馬市内の店舗はほとんど営業を再開しています。相馬市に裁判所もあります。これに対して、南相馬市は、、、全く取り残されている状況です。
 市民向けに義援金(一世帯5万円)の説明が行われましたが、わずか5万円で何ができるの?という感じです。
 原発問題の収束なくして復興などあり得ません。
3.住民にとって必要なもの
 生活するためのお金が早急に必要です。明日のお金が切実な問題です。ただ、原発の被災者、地震・津波の被災者であれば同じであると思います。小口資金と言っても、借りることを嫌います。どうせ返すなら借りない方がいいという思いです。
 それとともに、原発についての情報を必要としています。原発について住民・避難者を対象とした説明会・講演会・学習会等を行うのは、住民が欲しているであろう情報に直接触れることができるからです。ただ、住民の一番の関心は原発の問題がいつまで続くのか?いつになれば帰れるのか?と明確に答えることのできない問題です。これは原発の被害者全員に共通します。
 南相馬市には仕事がありません。従来は、農業・漁業・酪農、原発、役場でした。仕事がなければ生活ができません。生活の基盤を建てることができません。働きたいのに働けない、震災前でも仕事については多くの声を聞いてきましたが、本当に切実な問題です。今のままでは、若者は南相馬を離れ、残るのは高齢者のみとなるでしょう。地域のコミュニティーは崩壊します。国や県が雇用をこの地域で創出しなければ、その行く末は目に見えています。
4.原発の安定と収束が大前提
 原発問題が安定し収束しなければならないことは生活の大前提です。避難所を廻れば必ず原発問題にぶつかります。南相馬市はもちろん、相馬市でも同じです。
 いったい、日弁連として原発問題にどう取り組むのでしょうか?何も見えてきません。既に原子力損害賠償審査会は始まりましたが、日弁連は弁護士を送り込まないのですか?
5.一弁護士として
 避難所相談はボランティア。事務所は臨時で開けていますが、1ヶ月の震災で滞った業務と依頼者の安否確認を片手に、もう片手は避難所巡りで手一杯です。新規で相談など余裕はありません。何せ原発から30キロ圏内ですから。昨年、建てたばかりの家の住宅ローンを抱えつつ、福島市に避難させた妊娠7ヶ月の妻を抱えながら。生活の保障はありません。
 東京に一時避難していた際、ロースクールの同じクラスの友人と恩師からたくさんの応援を戴きました。また、東京では、震災に関する研修や味の素スタジアムと東京武道館での相談に参加させて戴いておりました。
 でも、南相馬と東京は全くの別世界ですね。福島市と南相馬も別世界です。実際に被災地で生活してみなければ分からないことは多いですね。私がまだ中学生の頃に起きた阪神大震災はテレビで見る限り信じられない光景でした。でも、やはり実際に被災者にならないと見えない感じられない面というのはあるのですね。
 避難所相談(相談ブースに座っている時間はほとんどありません。避難所の皆さんに声を掛けて、始めて相談になります)で避難所の皆さんと膝をつき合わせて、自らの状況についても話すと、避難所の皆さんは、妻のこと、私のことを心配してくれます。とてもありがたく、あたたかい気持ちになります。今の生き甲斐です。
6.今後も、我が町である南相馬市から、情報発信していきたいと思います。

カテゴリー: 南相馬市の実情

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